新・群雄割拠
THe Jet'sオオハラの日記。
プロフィール

大原康輔

Author:大原康輔
東京を中心に活動しているROCK'N ROLL BAND THe Jet'sのギターリスト。

1979.12.22生まれ。静岡県浜松市生まれ。

フォークソングを聞き始めてから石川鷹彦、伊勢正三に影響を受けギターを始める。学生時代に横道坊主に出会いそして憧れてバンドを始める。



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愛用品
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腕時計。かれこれ12年位の付き合いです。これは高校に入学する時に親から頂いたものです。

そんなに高い物ではないが、前に電池交換した時、そろそろオーバーホールしたほうがいいと言われたが時計の値段と同じくらいするようだったのでその時はパスしたが、やはり大切なものなので今度オーバーホールしなければ・・・。

これ以外の時計も使ってきたけどそれらは全部壊れてしまった。なぜかこいつだけは無事。でもなんか新しいの買ってたまには休ませてあげないと可哀想かな。


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こいつは長財布。そうだなぁ。5年くらいたつのかな?

やっぱし革の財布は長持ちします。某ブランドのですがやはり職人さんに聞くと「革はいいの使ってるけど縫い糸が細い。この糸ならそんなに熟練した職人でなくてもできるなぁ」と。

確かにいたるところで糸がほつれてきてます。

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話を聞いた職人さんのカバンやら財布やらは本当に壊れません。すごいんです。ただかなりの頑固職人なんで「ザ・カバン」みたいな形しか作っておりません。

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渋谷CRAWL 2days
7/7はSPIRIT 77企画へ行きました!

相変わらず飲みすぎて写真撮るのわすれたー。TWO PUNKS。「口が先に出てるようじゃダメだ」名言頂きました。

7/8はロマンチストが出番遅いとのことで仕事終わりにクロールへ。
こうせいとTHE DUCK BILLYSヨシノリとともに。

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今日はロマンチストしか見なかったが「愛しくてしかたがないよ」は名曲中の名曲だ。

すごい久しぶりにJOKERSノリさんに会った!すごく嬉しがってくれた!もちろん自分も久しぶりにあえてうれしかった!あおいうた、ライブで聴きたい!!

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すごく楽しい2daysでした。

中央線
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いつも乗ってる電車だが今日は一番前に乗ってみた。久しぶりだー。

なんか新鮮!
徳川家康
徳川家康


最近はもっぱら司馬遼太郎「城塞」を読んでいる訳ですが徳川家康は凄い人だと改めて思った。

その人生は紆余曲折。

子供の頃は今川義元の下で人質として駿府で過ごす。
そして、桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にするとようやく松平氏の本拠、岡崎に戻り今川家より独立。

その後は東海地方に勢力を伸ばすが甲斐より武田信玄と領地を接し、ついに三方ヶ原にて戦うが惨敗。その直後武田信玄が病没したので難を逃れる。

信玄の後、武田勝頼は信長に攻められ天目山にて自害し武田家は滅亡するが、その後甲斐、信濃に攻め入るがやはりここでも上田城主の真田昌幸に敗れる。

同時期、豊臣秀吉とついに小牧、長久手の戦いで雌雄を決する。しかし家康は戦いには勝つが政治的に負けてしまう。不思議な展開。
「勝ったのに負けた」
秀吉は織田信雄と和睦したため戦う「名分」がなくなってしまった。そう、家康は秀吉と不和になった織田信雄(信長の次男)を助けるために戦いを起こした。
ただ戦いに勝つだけでは本当の勝ちではなかった。結局家康は秀吉の軍門に下ることになった。

本当にここまでは「負け」をたびたび味わってきた。しかし本当に「負け」てもなかったとも言える。

秀吉政権下では猫を被っているがその死後はついに家康の時代となった。

関が原の戦いでは「豊臣VS徳川」という構図の絶対しないように万全を尽くしあくまでも「逆賊石田三成」を討つということに徹底した。それによて豊臣恩顧の大名を取り込む。

関が原の戦いのあとはいよいよ豊臣秀頼との関係が微妙になる。家康は征夷大将軍に任じられ更にすぐにその職を辞し、子の秀忠のその将軍職を譲る。これによって将軍職は徳川家が代々世襲するものだと天下に示す。ここで名実共に徳川は豊臣から脱却し豊臣は一大名に過ぎなくなった。

当初は豊臣家を攻め滅ぼすきはさほどなかったと自分は思うが、息子秀忠の性格と豊臣秀頼の若さ。そして自分に降りかかる「老い」。ついに豊臣家を滅ぼすことを決める。

その口実にしたのが方広寺鐘銘だった。司馬遼太郎にいわせれば「犯罪」である。

「国家安康・・・臣君豊楽」

つねにこの時期の家康のやり方は恐ろしい。釈明にくる大坂の使者一方には激怒し一方には気にしてないとやさしく言う。大坂の内部分裂を図っている。
大坂への動員は全国各地の大名を動員する。もちろん豊臣恩顧の大名も。戦いが長引けば大坂に寝返る大名が現れる恐れが確かにあったがそれ以上にこの戦いに豊臣恩顧の大名を参加させる必要があった。
そう、この「犯罪」に全国の大名を巻き込む「共犯者」にする。

こういう一面があったため家康はあまり人気がないのもわかる。やはり関西では「太閤びいき」があるのはその辺だろう。

そして何より太平の世の中にするために必要なものを使う。
今の日本にも根強くのこり一般的に言われる「武士道的な精神」を植え込むことだった。戦国時代までは「裏切る」とか「謀略」みたいなことは当たり前だったと言われている。その考えかたを180度変えてしまった。国を治める側にすればこれほど都合のいいことはない。実際家康の側近の学者や僧侶がふえている。


徳川家康はたくさんの負けを知ってるからこそ本当の勝ちを知っていたんでないかと思う。若い頃と晩年の家康は当たり前だがまったく別人だと思う。



司馬遼太郎
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城塞(中)。
(中)があるの知らずに上下だけ買って上読み終わって下を読み始めたらいきなり大阪冬の陣終わってた。確か上は冬の陣が始まる直前で終わったのに。

中ではいよいよ真田幸村登場!

今から電車の中で読んで帰ります。

最近はいつも電車の中では専ら読書。ただ家では読まないようにしてる。読み始めたら止まらなくなる。

さて、電車が来た。




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